ワイらが「百鬼夜行」って聞くと、妖怪とか幽霊がゾロゾロ出てくるヤバい絵巻とか、鳥山石燕のあの有名なイラスト思い浮かべるよな。でも、この百鬼夜行ってアイデア、そもそもどっから来たんやろ? 日本の妖怪パレードの元ネタって何なんや? 20代のノリでゆるく掘り下げながら、歴史とか文化とか絡めてガッツリ探ってみるで。妖怪好きならテンション上がる話やし、気になるやろ?

平安時代:妖怪のルーツはここからや

百鬼夜行のアイデアのスタートは、やっぱ平安時代(794年~1185年)やな。この頃って、貴族たちがオシャレに怖がってた時代で、幽霊とか妖怪がバンバン話に出てくるで。『源氏物語』とか『今昔物語集』読むと、夜に変なもん出てきて人をビビらす話がゴロゴロあるんや。例えば、「鞍馬の僧正が鬼に襲われた」みたいな話とか、暗い山道で何か得体の知れんもんに会うとかさ。

平安京って、都の設計が陰陽道ベースやったから、鬼門(北東)がめっちゃ怖がられてたんや。船岡山とか比叡山とか、そっち方面から「何か来る!」って噂あって、夜に鬼とか妖怪がウロウロしてるイメージが生まれたっぽいな。この「夜にヤバいもんが集まってくる」って発想が、百鬼夜行の原型ちゃうか? 陰陽師の安倍晴明とかも、妖怪退治の話で有名やし、この時代のオカルト感がガッツリ影響してるわ。

あと、平安の貴族って夢とか霊にめっちゃ敏感やったみたいで、日記に「変な影見た」とか書いてるんや。そんで、夜ってのが特にヤバい時間やった。昼は人間の世界やけど、夜は「あっち側」のもんが出てくるって感覚があって、それが妖怪パレードのアイデアに繋がったんちゃうか。『大鏡』とかでも、夜に変な音聞いたとか書いてあって、当時のビビり具合が伝わってくるで。

中国の影響:鬼のパレードって元々あっち発?

でもな、百鬼夜行って日本だけで生まれたわけやないで。実は、中国の影響もデカいんや。平安時代って唐からもろもろ文化パクってた時期やし、妖怪の話も一緒に輸入されたっぽいな。中国の古典に「鬼魅魍魎(きみもうりょう)」って言葉あって、いろんな鬼とか妖怪がウジャウジャ出てくるイメージや。これが日本の陰陽道とか仏教と混ざって、「夜に鬼が集まる」って話に進化したんちゃうか。

例えば、中国の『山海経』って本には、変な生き物とか鬼がいっぱい出てくるで。山とか川に住む妖怪が夜になると動き出すって話があって、それが日本に伝わって「百鬼夜行」って形になった可能性あるな。平安の陰陽師たちが「鬼が都に入ってくる!」ってビビってたのも、中国のこういう話がベースやろ。そんで、「百」って数字が付いたのは、単に「いっぱいおる!」って強調したかっただけかもしれんけど、なんかカッコいい響きあるよな。

あと、道教とかの「夜は陰の時間」って考えも影響してるで。昼は陽で人間が強いけど、夜は陰で鬼とか妖怪が強くなるって発想や。日本でも「丑三つ時(午前2~3時)」とかが一番ヤバい時間って言われるようになったし、中国のオカルト文化が百鬼夜行のアイデアにガッツリ入ってるわ。『太平広記』とか中国の怪談集にも、夜に鬼が集まる話あって、日本の百鬼夜行と似てる部分あるで。

怨霊信仰:恨みっつぁい奴らが集まる

日本の怨霊信仰も、百鬼夜行のアイデアに絡んでくるで。平安とかそれ以前の飛鳥・奈良時代(6世紀~8世紀)で、不遇な死に方した奴が怨霊になって戻ってくるって話が流行ったんや。菅原道真とかさ、疫病とか雷で「ワイの恨みや!」って暴れた怨霊の代表やん。ああいうのが、「夜に怨霊がウロウロする」ってイメージ作ったんちゃうか。

怨霊って単体でも怖いけど、それが集団で出てきたらもっとヤバいよな。例えば、都で疫病流行ったときに、「死んだ奴らが集まって祟ってる!」って噂になったりしてたみたいや。『日本霊異記』とかにも、不思議な話がいっぱい載ってるけど、夜に霊とか鬼がゾロゾロ出てくるパターン多いで。それが「百鬼夜行」って名前にまとまった感じやろ。恨み持った霊が夜に集まってパレードするって、マジでゾッとする発想やな。

飛鳥時代に聖徳太子とかが怨霊鎮めるために寺建てたりしてた話もあるし、奈良時代には疫病で死んだ人が怨霊化して都荒らすってビビられてたわ。こういう歴史的な恨みっつぁい連中が、百鬼夜行のメンバーになったんちゃうか。菅原道真以外にも、政治で負けた貴族とか戦で死んだ武士とか、いろんな怨霊が集まってくるイメージやね。

中世の混沌:戦乱で妖怪パワーアップ

鎌倉時代(1185年~1333年)とか室町時代(1336年~1573年)になると、戦乱で人がバタバタ死にまくって、妖怪とか怨霊の話がさらに増えるで。源平合戦の壇ノ浦とか、平家の武将が死にまくった場所やけど、「夜に魂がウロウロしてる」って噂がガンガン広まったんや。この時期、百鬼夜行のアイデアがもっとリアルになった感じやな。

能とか狂言でも、怨霊とか妖怪が夜に出てくる話が多くて、『葵上』とか見ると貴族の霊が恨みで暴れるシーンあるやん。ああいうのが、百鬼夜行の「集団で出てくる」ってイメージに影響したんちゃうか。戦場とか廃墟が「妖怪の溜まり場」って言われるようになって、例えば京都の六条河原とか、処刑場やったから霊が集まるって噂あったで。こういう混沌とした時代が、百鬼夜行をパワーアップさせたんやろな。

室町時代になると、足利尊氏とか南北朝の争いで死んだ武士の霊がウジャウジャ出てきたって話もあるわ。城跡とか荒れた村が「夜に何か出る!」ってビビられて、百鬼夜行の舞台としてイメージされたんちゃうか。戦で死んだ奴らが夜にゾロゾロ歩いてる絵、想像したらゾワっとするよな。

江戸時代:百鬼夜行がエンタメ化

江戸時代(1603年~1868年)になると、百鬼夜行がガチで文化になるで。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』とか、妖怪がズラッと並んでるあの絵が有名やけど、この頃って庶民が怪談とか妖怪話にハマってたんや。浮世絵とかで、ツクモガミ(道具の妖怪)とか鬼とかがパレードしてる絵がバンバン描かれて、百鬼夜行がエンタメになった感じやな。

この時期、道具が古くなると魂宿って妖怪になるって発想が流行ってて、例えば傘とか提灯が妖怪化して夜に歩き出すとかさ。それが百鬼夜行のメンバーに入ってきて、怨霊だけやなくて「いろんなもんが集まる」ってイメージになったんやろ。『怪談牡丹灯籠』とかも、夜に幽霊が出てくる話やけど、そういう怪奇譚が庶民の間でバズって、百鬼夜行が身近な存在になったんちゃうか。

あと、江戸の若者たちが肝試しとかで「百鬼夜行出るかも!」って盛り上がってたみたいや。夜に廃屋とか行ってビビり合う遊びが流行ってて、それが百鬼夜行のイメージをさらに広めたんやろな。今でも夏に妖怪話で盛り上がるワイらと一緒やね。

民間信仰と日常:生活の中の妖怪

百鬼夜行って、実は民間信仰とも繋がってるで。日本の田舎とかだと、山とか川に妖怪住んでるって昔から言われてたんや。キツネとかタヌキが化ける話とかさ、そういう自然の中の妖怪が夜に集まってくるってイメージあったんちゃうか。平安とか中世の都だけやなくて、庶民の生活の中でも「夜は妖怪の時間」って感覚があったっぽいな。

例えば、お盆とかに死者の魂が帰ってくるって信仰あるやん。あれがちょっとズレて、「帰ってこん魂が夜にウロウロしてる」って話になったりして、それが百鬼夜行に混ざった可能性もあるで。民間の怪談とか言い伝えが、百鬼夜行のアイデアを育てたんやろな。

結論:百鬼夜行の元ネタって?

百鬼夜行のアイデアって、平安のオカルト感、中国の鬼文化、怨霊信仰、戦乱の混沌、民間信仰が混ざったもんやな。夜にヤバいもんが集まってくるって発想が、いろんな時代の怖い話とか文化でパワーアップして、江戸でエンタメになった感じや。幽霊とか妖怪がゾロゾロ出てくる絵、なんかワクワクするけど怖いよな。ワイら20代でも、夏に百鬼夜行の話で盛り上がれるし、このアイデアがずっと残ってるのスゴいわ。どう思う? 妖怪パレード、今でも見たい気せん?