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阿賀町の心霊スポットといえば、
阿賀町新谷から綱木の「黒い森」、阿賀町黒岩の「揚川隧道」、
阿賀町向鹿瀬「角神隧道」などが有名です。

阿賀町日出谷の保科民部正興の塚がある「さすらいの丘」は
心霊スポットというのは不敬ではありますが、
それに近い場所なのかもしれません。

これはある新潟県の知り合いから聞いた話です。

知り合いは学生時代の夏の夜、
肝試しで友人らとともに阿賀町新谷から綱木にあり、
霊道と重なっているとされる「黒い森」を探しにいきました。

しかしながら、その時は「黒い森」を見つけることができませんでした。
その帰り道のことです。

知り合いが自動車を運転していると、
ちょうど「さすらいの丘」のある付近を通りかかったところ
助手席に乗っていた友人が、

「ここは会津藩の怪談奇談を集めた老媼茶話(ろうおうさわ、
寛保2(1742)年)に載る怪談のモデルになった地という話がある」

と言うので行ってみてはどうかと提案してきました。

知り合いも「黒い森」を見つけられなかったこともあり、
友人の提案に賛成することにしました。

知り合いは今思えば不敬なことであったといっていました。

保科民部正興の塚のある方に近くなったところで、
不意に知り合いも知り合いの友人が塚のある方から
女の人が囁くような声を耳にしました。

他にも肝試しに来ている人がいると思っていましたが、
塚に到着してみると誰もいませんでした。

薄気味悪く思っているところ、
ふと保科民部正興の塚の近くにある石に目が行きました。

よくよく見ると、それが十字に切断された墓石のようです。

更に薄気味悪さが増したところで、
知り合いの友人が突如車のあったほうに走り出していきました。

後を追いかけて車に戻って知り合いの友人に聞いてみると
知り合いの友人はこう答えたそうです。

赤い何かがいた」と。

本当に赤い何かがいたのか、
それが何かを確認する気も失せた知り合いも知り合いの友人も
そのまま帰ることにしました。

それ以降、肝試しで「さすらいの丘」にいったことはありません。
知り合いは後に「さすらいの丘」について次の話を知ったそうです。

今の新潟県阿賀町のあった東蒲原郡(ひがしかんばらぐん)付近は
かつて会津藩領だったようです。

保科民部正興は27歳で、家老となり、
会津藩主保科正経の母で京都賀茂神社と縁ある
於万の方の姪と結婚しました。

ところが、次の藩主の時代である37歳のときに家老免職となり、
会津に蟄居となりました。

翌年には全所領没収の上、会津藩の所領であった
越後国東蒲原郡に妻とも側室とも言われる
女性らと流刑に処されたそうです。

そのまま許されることなく日出谷村水沢(新潟県阿賀町)の地で
元禄2年(1689)年8月7日に死去したそうです。

流刑先で保科民部正興は村の教育や
干ばつの際に雨乞いをするなど村に尽くし、
民部さま」と言われ慕われていたそうです。

しかし、死後、何者かの手により元々の墓は十字に切断され、
倒れたまま地面に置かれ、後に現在の墓石である
保科民部正興の塚が新調されたそうです。

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