長野県との県境にある高天原山で、
2016年7月に帰らぬ人になった男性がいます。
それは登山道を整備している作業中に起きた事故で、
作業をしていた男性が斜面から滑り落ちてしまい、
病院へ運ばれたときにはもう手遅れでした。
実はこの高天原山、
歴史に残る航空事故が起きた場所で、
520名の方が亡くなった場所でもあるのです。
1985年8月、
羽田空港から飛び立った日本航空123便は、
離陸してすぐに異常が発生して操縦が効かなくなり、
この高天原山の尾根に墜落。
この日本航空123便墜落事故はもっとも多くの犠牲者をだした航空事故で、
2017年になっても日本航空123便墜落事故を超える事故は起きていません。
情報が混乱を極めた事故発生直後は、
御巣鷹山の名前がニュースで繰り返されていたので、
旅客機が墜落したのは御巣鷹山だと覚えている人もいますが、
実際に旅客機が墜落したのはこの高天原山です。
(高天原山の尾根は事故後に「御巣鷹の尾根」と名付けられています)
それまで登山道などなかった高天原山ですが、
この事故の犠牲者を弔うための道が整備され、
8月の犠牲者追悼に備えた準備で、
新たに事故が起きてしまったのです。
知り合いのKさんがこの山へ登るとき、
大きな事故が起きた山で足元が滑りやすい道ということもあり、
山に入ると慰霊碑の『昇魂之碑』に一礼をすることにしていました。
その日は予定よりも早く山を降りてきたのですが、
ペースが早かったことで体に違和感が出ることもなく、
足を滑らせるとかそういう危ない場面もなく、
とても快適に山を歩くことができました。
それでKさんは、帰る前に昇魂之碑にお礼をして帰ろうと
石碑の前に立ったのですが、あたりには誰もいないのに、
近くから人の声が聞こえたのだそうです。
航空事故から30年以上が過ぎ、高齢化した遺族のために、
事故現場近くまで車で行くこともできるようになったそうです。
ですが、機体に異常が発生してから墜落まで21分と少し、
500名を超える犠牲者を出した場所は、
軽い気持ちで行くような場所ではないのだと思います。
2019年7月29日 at 11:49 AM
その滑落事故でお亡くなりになられた方は、JAL123便事故のご遺族の対応室長をされていた日航職員の方でした。8月12日前後に慰霊登山をされる方々の為に、参道を整備していての滑落事故、殉職でした。