奈良時代の初めごろ、
安達ケ原に一人の老婆が住んでいました。
旅人が通りかかると、
老婆は旅人を住処に案内してもてなします。
そうして日が沈み、旅人が眠りにおちると、
老婆は旅人を煮て食べていたのだそうです。
この場所を通りかかった旅の僧侶によって、
鬼婆は退治され、
その亡骸を埋めた場所には、
黒塚と刻まれた石碑がたっています。
能や浄瑠璃の演目『黒塚』は、
この旅人を襲う鬼婆を題材にした演目で。
安達ケ原に鬼婆がいると、
三十六歌仙の一人、
平兼盛が歌に詠んだことでも知られています。
黒塚は阿武隈川のほとり、
大きな杉の木の傍らにあり、
鬼婆が住んでいた場所には、
観世寺が建てられています。
観世寺の境内には、鬼婆が住んでいた『笠石』、
人を切り分けてついた血を洗った『出刃洗の池』があり、
建物内では、この場所で発見された、
鬼婆の使っていた出刃包丁や鍋などが見られます。
鬼婆のおこなってきたことを描いた、
恐ろしい絵を観世寺で見たあと。
黒塚まで歩いていくと、鬼婆の顔が浮かんで来て、
鬼婆の気味悪い笑い声が聞こえてきそうです。
ところが、私がその場所で聞いたのは、
うめき声といえばいいのでしょうか。
どこからともなく聞こえてきた、
「あぁ~」という低い声でした。
観世寺でみた犠牲者の姿の次に、
黒塚にくる途中でみた猫の姿を思い出しました。
でも、うまくいえないけど、
猫の鳴き声とは違っていたのだけは確かなんです。
お話の中では、
鬼婆は神仏の手によって救われたとも、
仏の落とした雷に打たれたとも伝えられています。
黒塚の前では犠牲者の姿を思い浮かべましたが、
振り返ってみると、思い浮かぶのは罰を受け続ける鬼婆の姿です。
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