青森県三戸郡南部町福田
あれはもう20年も前の事、
大学や専門学校へと進学していた先輩達が夏休みを利用して帰省し、
私を含めた11人という大人数で、車5台を出動させてドライブを楽しんでいた時の事です。
先輩の一人が「青森に三戸トンネルがあり、昔、若い女性がスカイラインで連れ去られ、暴行され、そこで自殺をしたという鳥居がある。そこに行ってみないか?」という話を持ち出しました。
私達は、若さという勢いもあり、
真夜中に私達は車5台でその心霊スポットへと向かったのです。
三戸トンネルの手前から、街頭という明かりが一切、道を照らす事がなくなりました。
本当に薄気味悪いトンネルで、そこを抜けると、
まるで「八ツ墓村」を思わせるような部落が見え始め、
屋根は全て茅葺の作りで、夜中という事もあってか、
そんな民家に明かりは全くありませんでした。
通りぬける事ができない村だったので、
その村を一周してから三戸トンネルに戻ろうとした時、
トンネルへの戻り口に、先輩の話にあった鳥居が見えました。
そこに、「行ってみよう!」という先輩の一言でその鳥居まで行きました。
先輩の一人が、その鳥居に向かってロケット花火を発射しました。
するとY君が「俺、霊感が強いんだ。何か玉のような光が来る。
俺に向かってる。あ、俺を通る!」と言ったのです。
私達は、「やっぱりヤバイんじゃない?」と言い、
すぐさま、そこを立ち去りました。
帰り道、国道にある自動販売機が並ぶ空き地にみんなで集合し、
「恐かったね?」と互いに恐怖だった気持ちを確認するように
ジュースを買って帰ろうとしました。
すると、1台の先輩の車が、前進したはずが自動販売機にバックで突っ込みました。
また別に、路上で、一緒に来ていた車同士2台で玉突き事故を起こしてしまい、
これで5台中の3台の車が傷を負ってしまいました。
次の日、あのY君の車は、大事故で大破してしまい、
頭を強く打ったY君は、植物人間へとなってしまいました。
これが、5台中の4台目です。
残り、私の車には何も無かった…とホッとしながら私の車をよくよく見てみると、
車のボディーに、無数の手型が何個も付いていたのです。
それから数日は、信号待ちの私の車を平手で叩くような音が聞こえると思ったら、
それから一週間後、私の車は電柱へと刺さり、廃車となってしまいました。
でも、私には、私の車が電柱へと刺さってしまうとなった記憶は全くないのです。
これで、5台全部の車が、損傷してしまったのです。
死人は出なかったとは言え、全ての車が残念な形になったのです。
2015年3月13日 at 7:38 PM
こわいっすね!青森県八戸市に住んでおりましていつか行ってみたいと思ってましたがやめときます!
2015年4月14日 at 3:48 PM
地元では女の人の霊が出ることで有名な心霊スポットです。学生の頃にイベント関連のアルバイトに友人・知人合計8人で近くまでいったときに、後輩のひとりが「どうせ明日の朝は早朝から仕事なんだから、寝ないで三戸トンネルに行ってみよう」と言い出し、車2台で三戸トンネルに向かいました。実際に、トンネル手前までは普通に車で行って、そこで全員で車を降りて歩いていってみようということになりました。しかし、トンネル中程まで進むのがやっとで、トンネルの先まで進むことはできませんでした。先頭を切って歩いていた、先輩が「何か声が聞こえたような気がする」と言って走って戻ってきました。実際に心霊体験はできなかったものの、引き返すとき2台のうち1台の車が脱輪しかけて、「心霊現象かな?」とかいって笑って、翌朝のアルバイトに向かいました。イベント関連のアルバイトが終わったのがお昼頃で、私は弘前方面、後輩は八戸方面だったので車は別々の方向に向かいました。もうすぐアパートに着くという頃に、車に同情していた友人3人も私も全く意識が無く、後部座席に乗っている一人が「危ない!」と言ったときには前の車に追突していました。夏休みに、八戸方面に帰っていった後輩と飲んだときに、「俺もあの日の帰り、一瞬意識が飛んで軽い追突事故を起こした」と言っていました。私はその数ヵ月後に車がひっくり返る程の大事故に巻き込まれ、その車は廃車になりました。
2016年9月15日 at 9:44 PM
その自殺したというのは昭和何年の事ですか?
2019年1月9日 at 9:00 PM
三戸トンネルの前後に通り抜けることが出来ない村なんてありません。何故ならトンネルのある県道は旧国道4号線で昔から往来のある道路だからです。
2019年7月3日 at 2:12 PM
ほとんど毎日のように通過しますが、恐いと思ったことは1度くらいしかありません。
トンネル内の路面が凍っていた時だけです。
自殺?地元の人も知りません。
幽霊トンネルとの噂話が広まったのは昭和50年代からで、いわゆる暴走族の土曜夜の肝試しが、一般の人にも広まり、週末は人だらけでした。
平成の初め頃にも再燃して、また人だからでした。
鳥居というのはトンネルの五戸側の入り口手前の右側に農道があり、そこを登っていけば、上に神社があるので、そのことだと思います。
今は除草や除雪をしていないので入り口は分かりにくいですが、平成の最初の頃は車で上まで行けました。
夏になれば、お供えもしてあるので、管理されている方がいるはずです。
江戸時代後期から大正にかけての姥捨て山だったと言う人もいますが、証拠がありません。はっきり言ってデマです。
昔、隧道が出来る前は、先に述べた農道を通り、上の神社を経由して南部町と五戸町を行き来していました。
神社は、その名残です。
よく峠道の分岐点に茶屋や神社が存在するのは、旅の労を癒やすのと安全祈願の為です。
おばけなんていません。