遠野と北海道(アイヌ)の「妖怪」と「神格化」の違い、ちょっとユーモアを交えて考えてみましょう。
同じ厳しい自然環境なのに、どうしてこうも方向性が違っちゃったのか、不思議ですよね。
遠野:妖怪って、要するにツンデレな自然さん?
遠野の妖怪って、河童とか座敷童子とか、なんかこう「近寄りがたいけど憎めない」キャラが多いんです。川で人を引っ張ったり、家でイタズラしたり、まるで自然が「オレのこと無視すんなよ!」って拗ねてるみたい。厳しい山や冬を前にして、「うわっ、自然怖っ!」ってビビった遠野の人たちが、「でも完全に縁切るのもなぁ…」と妖怪って形で愛嬌つけてみたのかも。結果、妖怪は神様ほど偉そうじゃなく、ちょっとお茶目で人間くさい存在に。遠野の自然は、ツンデレな友達みたいなもんですよ。「好きだよ(でもたまに溺れさせるね)」って感じで。
アイヌ:自然が神なら、みんな上司扱い!
一方、アイヌの「カムイ」は、もう完全に自然を「偉い人」にしちゃってます。クマは「キムンカムイ」(山のボス)、シマフクロウは「コタンコロカムイ」(村の守護神)、海だって「レプンカムイ」(海の支配者)。厳しい自然を前にして、「お前ら全員、上司だ!敬うしかない!」って決めたんでしょうね。アイヌの人たちは、「自然とケンカしたら負けるし、むしろご機嫌取っとこうぜ」と考えて、カムイにプレゼント(イオマンテとか)まで渡す気遣いっぷり。妖怪みたいに「いたずらっ子」扱いする余裕なんてなく、「はい、神様、お先にどうぞ!」って感じでかしこまっちゃったわけです。
歴史のノリが違っただけかも
遠野は和人にガッツリ組み込まれてたから、「妖怪でも神でも、とりあえず話のネタにしとくか」みたいなユルいノリがあったのかも。柳田國男が『遠野物語』で「妖怪だよー」って書いたら、「おお、マジで?なんかカッコいいじゃん!」って地元民もノリノリで妖怪推し。一方、アイヌは和人にあまり馴染まず、「俺らの自然は神だぜ、わかったな!」って独自路線を貫いた感じ。遠野が「自然と雑談する」タイプなら、アイヌは「自然に敬礼する」タイプ。同じ寒さでも、ノリの違いがデカいんです。
結論:遠野はゆるキャラ、アイヌはガチ勢
遠野の妖怪は、自然の「ゆるキャラ」バージョン。ちょっと怖いけど、どこか憎めなくて、「まぁ一緒に暮らすか」ってなる。一方、アイヌのカムイは「ガチ勢」で、「自然様に逆らうとかありえねぇ!」って全力リスペクト。同じ吹雪でも、遠野人は「雪女がまたイチャついてきたよ」と笑いものにし、アイヌ人は「吹雪のカムイ様、お許しを!」と土下座モード。結局、自然との付き合い方のテンションが、妖怪と神の分かれ道だったってわけです。
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