山梨県山梨市一町田中、苗吹川から少し歩いたところに
おむつ塚と呼ばれる石仏や六地蔵が沢山祀られた塚があります。

高校の先生から聞いた話ですが、先生が高校生の頃、
仲間数人と一緒におむつ塚に肝試しに行ったそうです。

おむつ塚で法要が行われる7月15日以前の
新月の日のことだった
と言っていました。

月も見えない夜中、おむつ塚に集合することになっており、
畑でほとんど人や建物がない道を、
口笛を吹きながら歩いていたそうです。

おむつ塚のある方で明かりが見えたので先生は、
仲間たちの方が先におむつ塚に着いたと思ったのですが、
実際におむつ塚に着いてみると誰もいなかったそうです。

先生は仲間が悪ふざけで隠れて脅かそうとしていると思い、
周辺を捜しましたが誰も居なかったようです。

しばらくすると仲間たちが現れたので、
何処に隠れていたか問いただしましたが、
ついさっき到着したばかりだったそうです。

仲間の1人が何気なく言ったのです。

ここ、人魂が出ることがあるらしいよ」と。
それを聞いて全員黙りこくってしまいました。

その頃、インスタントカメラが主流の時代で、
その日は仲間の1人が写真を何枚か撮ってから帰宅しました。

後日、現像に出したそうですが、
仲間いわく現像に出した店の人が、
全て現像に失敗した
と言って、
写真を渡さず、現像代を返金してきたそうです。

高校時代に肝試しにいった先生とは別の先生から
おむつ塚の由来を聞いたのですが、
室町時代の頃、領主のことを「地頭」と呼んでいたそうですが、
他所から来た嫁に来た女性は結婚前に
地頭に挨拶に行く慣例があった
そうです。

「お睦」か「お六津」だったかも知れませんが、
「おむつ」という他所から来た女性
慣例に従って挨拶にいったそうですが、
地頭に言い寄られたそうです。

「おむつ」は抵抗したために地頭は「おむつ」を軟禁し、
拷問までして身を任すように強要した
そうですが、
「おむつ」は拒否し続けたそうです。

遂に堪忍袋の緒が切れた地頭は、
「おむつ」を蛇やムカデなどと一緒に生き埋めにしたそうです。

地頭にその気があったかどうかは知りませんし、
本当の目的はそっちだったかも定かではありませんが、
ちょうど「蠱毒」を造るような状況になったそうです。

帰ってこない娘を案じた「おむつ」の母
地頭の屋敷に問い合わせた所、
「おむつ」は無礼があったので手討ちにしたと知らされたそうです。

それを聞いた「おむつ」の母は「おむつ」が埋められた所へ行き、
一掴みの栗を撒いて、地頭を呪詛して絶命したそうです。

その直後から、地頭屋敷では怪異が頻発した末、
地頭は一族郎党を斬り殺して発狂死したそうです。

生き残った地頭の親族はこれを恐れて、
おむつ塚を建てて供養するようになった
そうです。

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