大分県中津市邪馬渓町樋田にある青の洞門は、
寛延3(1750)年から宝暦13(1763)年の
33年間かけて禅海和尚と彼が雇った石工が
手掘りのノミで掘ったトンネルで、
樋田の刳抜』(ひだのくりぬき)とも呼ばれています。

歌川広重が幕末に制作した「六十余州名所図会」でも
『豊前羅漢寺下道』として紹介される洞門です。

これは、知り合いの女性Aから聞いた話です。

女性Aは彼氏Bの地元で、観光地として有名な
青の洞門で朝日を拝もうということになり、
軽自動車で同所に行きましたが、
思ったよりも早く、朝マズメの少し前頃に、
青の洞門に到着してしまった
ようです。

彼氏Bは車で朝日が出るまで待つように言ったのですが、
外の空気が吸いたいと思った女性Aは
車から出て近くの景色を堪能していたようです。

しばらくすると手掘りのトンネルの方から
人の声が聞こえた
ような気がしました。

好奇心が勝った女性Aはトンネルの中に入ったのですが、
他に観光客がいる様子はなかったようです。

不思議に思っていると、
外の川が見える明かり取り用に掘られた穴から、
川から出る白い手のようなものが見えた
気がしました。

なんかの見間違いかと思い、
よく確かめようと明り取り用穴に近づこうとした時、
慌てて追ってきた彼氏が彼女の肩を強く掴み、
青ざめながら言ったのです。

それ以上近づくな
引きずり込まれてしまう」と。

後で彼氏Bから聞いた話によると、
禅海和尚が青の洞門を開削した理由は、
断崖絶壁に建てられた羅漢寺の下道でもある、
この道では落下死亡事故が多かったが故だそうです。

洞門を掘る以前、荒瀬井堰が造られたことで川の水がせき止められて、
樋田・青地区の川の水位が上がってしまい、
青の洞門ができるまでは競秀峰の断崖絶壁に
鎖一つで渡たる難所である、この道を使わざるをえなかった
ので、
崖下の川である本邪馬渓への落下死亡事故が絶えなかったそうです。

だから、ここは運が悪ければ「出る」し、
最悪「引きずりこまれる」ようです。

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