広島県竹原市忠海町5476−4
私が大学を卒業して就職をしたある日の事でした。
こんな恐怖体験をするなんで思いもしませんでした。
入社して4ケ月がたち広島県瀬戸内海国立公園にある
大久野島という島に研修旅行に行くことになりました。
1ケ月ものかなり長い研修です。
と言うのも私の就職をした会社はかなりキツイ営業を
しなくてはいけない会社なので、精神を鍛えるための研修という事です。
水も飲む事も許されず、砂浜で走ったり、海で延々泳いだり、
先輩の言う言葉に従って大声手海に向ってさけんだりと、
朝から夕方まで毎日続きました。
グループに分けられ競争をして勝ったグループから
お風呂にゆっくり入る事ができ食事ができるという感じでした。
ある日の夜、本当にへとへとで疲れて
ご飯も食べれずお風呂から上がって
そのまま寝床に倒れこんでしまいました。
夜中の2時過ぎだったとおもいます。
畳の上をすり足ですって歩く足音が聞こえました。
「ん?」と起きようとしたのですが金縛りになり動けません。
そこで私はこれはヤバイと思いました。
ドンドンすり足が近づいてきます。
私は怖くて目をギュっとつむりました。
すると、頭の上で足音が止まりました。
私は怖くて怖くて目をつむっていたのですが、
あまりにも何も変化がないので、うっすら目を開けて見ると、
畳の上に顔だけが浮かび上がっていました。
坊主頭に丸めがねをかけて帽子をかぶっている
薄い緑の顔をした人は兵隊の帽子をかぶっていました。
私は恐ろしすぎて目を閉じる事も出来ず、
ずっと見ているとその兵隊さんは私をずっと見ながら、
首だけがすーっとたたみの上を動きそのまま壁に消えていきました。
兵隊さんが居なくなると金縛りがとけて
私は布団を頭からかぶって朝が早く来て欲しいと思いながら
いつの間にか寝てしまいました。
そう、私達が研修をしていたこの島は、
大久野島といい、いわゆる「毒ガス島」と言われていた島だったのです。
大久野島(おおくのしま)は、瀬戸内海にある島で
広島県竹原市忠海町から沖合い3キロメートルにある
周囲4.3キロの小さな島です。
「地図から消された島」とも呼ばれ、
第一次世界大戦以降の化学兵器製造の毒ガスを製造していた所で、
で、現在は「うさぎの楽園」としても有名です。
「心霊スポット」のようにはなっていませんが資料館が今は立てられています。
私の見た兵隊さんは、昔の事を伝えるために出て来られたのかもしれませんね。
2019年7月26日 at 5:34 PM
今から10年ほど前、友人2人と広島県にある「大久野島」へ海水浴旅行に出かけた事があります。行き場所を関西から選んだ理由として、大久野島は戦争中毒ガス工場があったからです。当時の面影が残る建物もあるらしく、僕たちは面白そうと思い旅行をします。大久野島へ着いた僕たちは、海へ繰り出し海水浴を満喫していました。午後から泳いで3時ぐらいになった頃、僕の足首を握る感触に遭遇します。少し深い海の場所で泳いでいて、初めは気のせいと思っていましたが、やっぱり足首を掴んでいる感じです。
僕は、海の中に潜って見ると、足首を掴む中年のおじさんがいます。その中年は、40代ぐらいで顔は火傷のような状態で軍服を着ているようです。僕は、中年のおじさんと目が合い怖くなったので足で蹴るようにして海の上に上がります。近くにいた友人に、「海の中に、火傷した兵隊のおじさんがいて足を掴んでくるぞ」と、伝えてみました。友人は、海の中に潜って行きましたが、兵隊のおじさんはいなかったそうです。
海の中で兵隊と遭遇した僕は、その後陸に近い場所で泳ぐ事にします。そして、夜になると、1泊2日の宿泊場所の旅館に戻ってノンビリ過ごします。深夜12時ぐらいになり、僕たちは寝る事にして布団へ入ったものです。僕は、なんだか寝れない感じで目をつぶっていました。1時間ぐらいした頃、目の前に人の気配を感じたのでパッと目を開けます。すると、海の中で僕の足首を掴んでいた兵隊のおじさんが布団の横に座っているのです。おじさんの口元をよく見ると、「水をくれ。水ををくれ」と、言っています。
僕は、怖くなり布団を頭から被ってうずくまっていました。少し経った頃、おそるおそる布団から顔を出すと、兵隊のおじさんはいません。朝になり、僕は友人に兵隊のおじさんが出た事を話します。友人は、不思議がっていましたが、ふと見るとテーブルの上に置いていた友人の「水のペットボトル」の中身が半分ぐらい減っているのです。友人は、ペットボトルを開けた事はなく新品のままで置いていたそうです。もしかして、現れた兵隊が「水をくれ」と、言っていたためペットボトルの水を勝手に飲んだかも知れません。