三重県津市、中河原海岸には
不気味な女神の石像が建てられています。

女神像の近くには、古びたぬいぐるみや
花などが供えられていて、そこだけが空気が違っています。

この女神像そのものにも、
「血の涙を流す」という怪奇現象が起きると噂されています。

実はその女神像は、六十年前に起きた
水難事故の慰霊碑として作られたものなのです。

事故の内容は、当時、水泳訓練を行っていた女子中学生が
一斉に深みにはまり、三十六人も溺死するという不可解なものでした。

特殊な潮の流れが事故の原因だという説もありますが、
それでも、三十六人が一度に水死するというのは
少し考えにくいことではないでしょうか。

さらに、生き残った女子生徒からも奇妙な証言があったといいます。
当時、溺れた女子生徒の一人が証言したところによると、
海から防災頭巾を被った「黒いかたまり」のようなものがやってきて、
次々に女子生徒たちを海の中へと沈めていったのだといいます。

実は、この海難事故が起きたのは七月二十八日のことでした。

この日付はちょうど太平洋戦争当時、
中河原海岸のある津市が空爆を受け、多数の死者が出た日と一致しています。

そんなことから、
「もしかしたら、空爆によって死んだ人々の怨念が、七月二十八日に
生きた人間をあの世へと引きずりこもうとしているのかもしれない」……と、
そんな怪談がまことしやかに流れていました。

これは、私が大学一年生のころに体験した、
中河原海岸にまつわる出来事です。

中河原海岸の噂を聞いた怖いもの知らずの私と友達のNは、
大学一年生の夏休みを利用してこっそりこの海岸で泳いでみることにしました。

一応遊泳禁止なので、夜中にこっそりと泳ぐということになりました。

深夜、実際に中河原海岸へと行って、
まず血の涙を流すという女神像を見ました。

ですが、女神像は何の変哲もない石像でした。

私とNは気が大きくなって、「どうせ嘘だろ」と
口々に言い合いながら浜辺に立ちました。

ただ、私はいざ海に入ろうという段になって
急に真っ暗な海が恐ろしくなってきました。

理由はわからないのですが、夏だというのに急に背筋に寒気を感じたのです。

Nの方は少しも怖気づく様子もなく、
怖がっている私をバカにしながら海へと泳いでいきました。

私は不安に包まれながら、
しばらく夜の海で泳いでいるNを懐中電灯で追っていました。
ところが、ある瞬間から急にNの姿が海面に見えなくなったのです。

気を抜いていたわけでもないのに、
一瞬にしてNの姿を見失った私は慌てて夜の暗闇の中、
海面をライトで照らしてNの姿を探しました。

そして、ついに海面から突き出ている手を見つけたのです。
それはまるで助けを求めるように激しく海面を叩き、飛沫を上げていました。

溺れているのに違いない。
そう思い、私はNを助けようとして海へと入っていこうとしました。

そのときのことです。

「ほら、何にもなかっただろ。次、お前の番な」
横からそんな風に声をかけられ、私は思わずそちらへと目をやりました。

見ると、驚いたことに溺れているはずのNが
海から出てきてこっちへと歩いてくるところでした。
私は思わず、もう一度海面へとライトを向けてみました。

すると、先ほどまで海面で助けを求めるかのように
突き出ていた腕は影も形もなく、海面は穏やかなままでした。

その後、私はNに今見た光景の説明もせず、
Nを連れて急いで海岸から逃げ帰りました。

あのとき海面に突き出ていた手は何だったのか、
今になってもわかりません。

単なる目の錯覚だったのか、あるいは何かがNのふりをして
私を海へと誘い込もうとしていたのか……

それ以来、私は中河原海岸には二度と近づかないでいます。

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