〒041-0833 北海道函館市陣川町 四稜郭
四稜郭とは?

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北海道北斗市向野にある四稜郭は、江戸時代末期に徳川幕府が蝦夷地の防衛のために築いた西洋式要塞です。函館市内の有名な五稜郭とは異なり、観光客にはあまり知られていませんが、歴史的な重要性と不気味な雰囲気が特徴です。函館戦争の舞台となったこの場所は、現在は一部が公園として整備され、土塁や堀が残るのみ。寂れた佇まいと血生臭い過去から、心霊スポットとしても知られています。
危険度 | ★★★☆☆(中程度の心霊噂と自然環境によるリスクあり) |
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名称 | 四稜郭(しりょうかく) |
所在地 | 北海道北斗市向野 |
アクセス | JR函館駅から車で約20分 |
歴史と背景
四稜郭は1864年に建設され、フランスの軍事技術を参考にした星型の要塞です。函館戦争では旧幕府軍の拠点となり、多くの兵士が命を落としました。戦後、施設は放置され、現在の姿に。資料に残らない戦死者や処刑の噂が、霊的な現象の原因として語られています。歴史の重みと静寂が、訪れる者に不気味な印象を与える要因となっています。
北海道北斗市にある「四稜郭(しりょうかく)」は、函館市内の有名な五稜郭とは異なり、観光客にはあまり知られていない歴史的な要塞です。しかし、その静かな佇まいと歴史的背景から、心霊スポットとしての不気味な噂が絶えず、地元民やオカルト愛好者の間で注目されています。
四稜郭の心霊噂とは?
四稜郭には、次のような不気味な噂が根付いています。
戦死者の霊の目撃情報
函館戦争で多くの兵士が命を落とした四稜郭では、「甲冑を着た武士の霊が彷徨う」「夜に兵士の足音が聞こえる」という報告が多数あります。特に、土塁の影や堀の周辺で、白い影やぼんやりとした人影を見たという目撃談が地元で語り継がれています。
謎の叫び声と気配
夜間に訪れた人々からは、「遠くから助けを求める叫び声が聞こえた」「背後に誰かが立っているような気配を感じた」という証言が寄せられています。ある体験談では、友人と訪れた際に全員が同時に声を聞き、慌てて逃げ出したとのこと。静寂の中で響く音が、恐怖を一層増幅させます。
写真に映る怪奇現象
四稜郭で撮影した写真に、説明できない影や光が映り込むことがあります。ある訪問者は、土塁を写した写真に「顔のようなもの」が浮かんでいたとSNSで報告し、オカルトファンの間で話題に。また、カメラやスマホが急に故障するケースも報告されており、霊的な影響を疑う声が上がっています。
四稜郭に関する都市伝説&ミステリー
都市伝説:「四稜郭の呪われた宝物」
地元に伝わる噂では、四稜郭の地下に旧幕府軍が隠した宝物が眠っており、それを探した者は霊に取り憑かれると言われています。この伝説が真実かどうかは不明ですが、2023年に地元の探検家が「地下への入り口らしきものを見つけた」とブログで報告し、注目を集めました。宝物を求める冒険心と恐怖が交錯するストーリーが、読者の想像力を刺激します。
歴史ミステリー:失われた兵士の記録
函館戦争の資料には、四稜郭で戦死した兵士の正確な数が記録されていない部分があります。一部の研究者は、「戦後、生き残った兵士が処刑され、沼に沈められた」と推測。この隠された歴史が霊的な現象の原因ではないかと囁かれ、歴史好きやオカルトファンの間で議論を呼んでいます。
現地レポート
昼間に四稜郭を訪れると、土塁と堀が静かに佇み、歴史の重みが感じられます。自然に囲まれた環境は穏やかですが、寂寥感が漂います。夜になると暗闇が深まり、風の音が不気味に響きます。個人的には「昼は歴史的だけど、夜は何か出そう」と感じました。暗闇の中、確かに気配のような錯覚に襲われます。
四稜郭での恐怖体験談
四稜郭を訪れた人々から寄せられた不思議な体験談を紹介します。要塞の暗さが際立つエピソードが特徴です。
北海道函館市にある四稜郭は昔、
函館戦争の時に最後の逃げ場として急いで作った場所と言われています。お婆ちゃんは私が小さい頃から
四稜郭には行ってはいけないと何度も言っていました。あそこは兵士が最後に死んでいった場所だから、
兵士の思いがまだあそこにはあるから行ったら、
闇に紛れて帰ってこれなくなると。そんな事も忘れるぐらいの年月が経って私は大学生になりました。
車の免許も取ったばかりだったので、
女の子4人でドライブに行くことになりました。最初は何もない普通の楽しいドライブだったのですが、
一人の子(A子)がどうしてもトイレに行きたいと言い出したので、
探したのですが当時の函館は町から少し離れると、
コンビニもないような田舎なのでコンビニを探している間に、
道に迷ってしまいました。そしてA子がここら辺に公園があったはずだから、
そこのトイレで我慢すると言ったので仕方なくその公園に行ったのです。着いたらA子に続いて他の二人もトイレに行きたいと言って、
私一人だけが車の中で待っていることになりました。明かりは全くなく車のヘッドライトだけが
唯一の光と言うぐらい真っ暗なのです。その時私は、怖いとも思っていなく黙って煙草を吸って
みんなを待っていました。すると風も吹いていないのに、車の窓も開けていないのに、
煙草の煙が流れていく方向が全く真逆になって、
おかしいなと思った瞬間に寒気が止まらなくなりました。そして周りを見渡していると公園の名前が書いてある看板を見ると
そこには四稜郭と書いてありました。その名前をみてお婆ちゃんに言われたことを思い出しました。
一気に怖くなってしまい体育座りで顔を下に向け
目を瞑って耳も手で塞いで心の中でごめんなさいと
何回も呟いていると視線が感じたのです。しかも、車が大勢いの人に囲まれているのが何となくわかりました。
ヤバいと思ったのですが怖くて動けなく囲んでいる者たちも
車にだんだんと近づいてきます。ごめんなさいと大きな声で口にすると、
その視線と寒気は引いていきました。そのあと友達も何事もなく戻ってきて急いで帰りました。
あの日から私は幽霊というものが見える体質になってしまいました。
大学生の時、免許取り立てで友達4人とドライブに出かけた。トイレ休憩で偶然四稜郭に立ち寄り、A子たちがトイレに行ったので私だけ車で待機。暗闇の中、タバコを吸っていると、「煙が不自然に逆流し、寒気が止まらなくなった」。看板で四稜郭と気づき、幼い頃お婆ちゃんに「行ったら闇に紛れて帰れなくなる」と言われたのを思い出した。恐怖で目を閉じ耳を塞いでいると、「視線と大勢に囲まれる感覚」が。謝ると気配が消え、友達が戻って急いで帰った。それ以来、幽霊が見える体質になった気がする。
この体験は、要塞の静寂と過去の警告が混じり合い、強烈な恐怖を残しています。
科学的・心理的考察
「叫び声」や「足音」は、風が土塁を通る音や自然の反響が錯覚を引き起こした可能性があります。「視線」や「寒気」は、暗闇と孤立感による心理的錯覚が原因かも。「写真の影」は、光の反射やノイズが影響した可能性も。戦争の歴史が、訪れる者の想像力を刺激し、心霊現象として解釈されやすい状況を作り出しているのでしょう。
訪れる際の注意点
四稜郭を訪れる際は、安全確保のために以下の準備をしてください。
- 懐中電灯:夜間は視界が悪く、足元が危険なので必要。
- 靴:草木や土塁を歩くため、滑りにくいものを。
- 注意:霧や雨で視界が悪化するので、天候を確認。
周辺スポットと関連情報
- 五稜郭: 観光名所で、心霊噂はほぼなし。
- トラピスト修道院: 静かなスポットで、霊的な話が一部あり。
- 参考情報: Xで「四稜郭の夜は不気味」との声。
結論と感想
四稜郭は、歴史的な要塞と心霊スポットが交錯する場所です。戦死者の霊や叫び声の噂は確証に欠けるものの、静寂と過去の重みが独特の緊張感を生み出します。歴史好きや廃墟探訪が趣味の人には訪れる価値あり。幽霊より足元の不安定さが現実的な脅威かも?
四稜郭に関する心霊スポット情報まとめ
四稜郭は、1864年に建設され函館戦争の舞台となった北海道の要塞跡です。武士の霊や叫び声が噂され、訪れる者をゾクッとさせます。科学的には風や心理的要因が影響していると考えられます。興味があれば、歴史と不気味さを味わいに足を運んでみてはどうでしょう。
2015年5月15日 at 2:52 AM
函館の五稜郭じゃなくて四稜郭ですか、初めて聞く。
新撰組の土方さんや榎本さんが立てこもった場所で写真見たから、もしかしたら五稜郭だと思いました。
確かに戦地でしたし、無念のままに死んだ人たちも多いでしょう。
無事で良かった。
2015年5月15日 at 1:04 PM
イメージ写真が「五稜郭」のものでした!
勘違いさせて申し訳ございませんでした。。。
2018年7月21日 at 1:38 AM
四稜郭は戊新戦争の舞台にはなってませんよ。出来たのは戦後の昭和24年だったはず。ただし、自殺は自分の知る限りでは5、6件はあったはず。
2019年1月19日 at 8:49 AM
あ さん
1869年だから箱館戦争の舞台で間違いないよ