江戸時代に整備された羽州街道をもとに、
国道7号線は敷かれているそうですが、
この道が羽州街道と呼ばれていた時代、
道沿いには人の首が並べられた事件がおこりました。
このあたりは水害が多発する地域で、
お上に収める年貢が重くのしかかっていましたが、
地域の役人は、それでも他の地域と同じように
年貢を納めさせ続けました。
このままでは生活ができないと、
村人たちはもっと上の役人に訴えることを計画したのですが、
計画を実行する前に村の役人に知られ、
首謀者として、五人の村人の首が切り落とされ、
羽州街道にさらし首にされてしまいました。
秋田市坊沢水上沢に、曹洞宗・永安寺というお寺があり、
村人を弔った五義民地蔵が祀られています。
五人の農民が処刑された場所は永安寺の近くで、
首を切られた場所は『五義民首切塚』と呼ばれ、
今では史跡として石碑が建てられています。
私達が五義民首切塚を訪れたのは、
退屈しのぎの怖いもの見たさからでした。
私は友人と二人で、五義民首切塚に行って、
ちょっとした肝試しを楽しんだあと、
友人の部屋に向かって歩いていました。
靴ヒモがほどけていることに気がついて、
しゃがみこむと、街灯の光でできた影も一緒に動くはずなのに、
私の影はたったままの姿をしていました。
私がそのことに気がついのと同時に、
こちらに向かって自転車がやって来て、
友人に急かされながら、
道の端によったあとに自分の影を確認すると、
影の動きは私とまったく同じものでした。
それ以来、なんとなく自分の影を見ることが
クセになったのですが、自分の影が勝手に動いていたのは、
五義民首切塚からの帰り道だけのことです。
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