国道197号線沿いには、
必死の形相で両手を斜め前に突き出して、
手のひらを道路に向けているオジサンの像があります。
実はこのオジサン、
津野山地域の農民達を救ってくれた偉い人なんです。
高知がまだ土佐といっていたときのことです。
津野山地域の製品や作物を取り仕切っていた問屋が、
時代劇に出てくる悪人そのままの問屋で、
問屋やそれを見過ごす土佐藩に対して、
強い不満をためた津野山地域の農民達は、
暴動を起こす手前でした。
爆発寸前の農民たちを食い止めたのが、
国道197号線にある像になった中平善之進その人でした。
像の掲げた両手は、
怒れる農民たちを懸命に止めようとしている姿だったのです。
友人が何人かで国道197号線を走行していて、
道沿いに必死になって両手を上げているオジサンの像があるのをみて、
ビーム出してんだってと誰かが言い出して車内は大爆笑になったそうです。
そんな車内の笑いを止めたのは、
後部座席に乗っていた女の子の悲鳴でした。
「青い目が光った」
車の中からだと全身が見えない場所にいて、
移動しながらということもあって、
何がいたのかまでははっきりとはしないのですが、
ふと見上げた視線の先には、目を青白く光らせながら
車を見ていた何かがいたようなのです。
中平善之進が農民たちの暴動を止めた後の話ですが、
この騒動は土佐藩の知ることになり、
悪い問屋はもちろん裁きをうけて処刑になりました。
しかし、農民たちが暴動を起こそうとしたことも当時は罪になり、
農民たちは暴動を起こさなかったので罰はありませんが、
騒動の中心人物として中平善之進ひとりが処刑されてしまいます。
善之進が処刑された日から、
高知は7日も続く大嵐に襲われてしまい、
人々は風神になった善之進が嵐をおこしたのだとくちぐちにウワサします。
道を挟んだ中平善之進の像の反対側に、
無念の雷神を鎮めるために、
善之進を祀る『風神鎮塚』が作られました。
1977年に国道197号線を広げる工事が行われ、
風神鎮塚を動かそうとすると、
重機が不調になったという話もあるようです。
友人には昼間に目が光る動物に心当たりはありませんでしたが、
怯える女の子には、
動物の目が暗いところだと光って驚くと言ってごまかしたそうです。
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