太平洋戦争末期、
日本が降服する直前の昭和20年7月9日。

和歌山市の上空を爆撃機が飛び、
次々と爆弾を投下していきました。

火の海になった街から逃げ出した人々が、
広大な空き地だった和歌山県庁舎跡に避難していたのですが、
火炎の熱波が避難していた人々を襲い、
この場所だけで700人を越える死者をだしてしまいます。

この近くにあった和歌山城も、
この空襲で消失したことからも、
どれだけ激しい攻撃だったのかが伝わります。

県庁舎跡には汀公園(みぎわこうえん)が作られ、
多くの人が亡くなった場所ということで、
和歌山大空襲で亡くなった方の供養塔が設けられています。

前日からの冷え込みで、寒いと思って目が覚めたのは、
やっと仕事の山場を超え、久しぶりに仕事の事を考えなくていい
休日の日でした。

目的に向かって忙しくしていた反動なのか、
何も考えずにフラフラしたいと思って、
目的を決めずにウロウロして辿り着いたのが汀公園でした。

他所から引っ越してきた私は、
それまで仏像がある公園としか認識していませんでしたが、
改めてまじまじと像を見ると、
空襲で亡くなった人のための仏像だと説明が刻まれていて、
由来のある供養塔だったのを知ります。

しばらく汀公園の隅の方で休んでいたら、
右手の小指が痒くなってきたんですが、
寒いからなと大して気にしていませんでしたが、
それは段々と痛いと思うくらいになっていて。

それで手袋を取って右手を見ると、
小指だけが熱く紫色に膨れていました。

急いで部屋に帰った頃には小指の腫れもだいぶ引いていて、
少し膨らんでいるけど痒みとかはなくなっていました。

ただの霜焼けだと思っていたんですが、
別の日にあった知り合いから、
何処か体の異常があった?と言われると。

空襲で多くの人が犠牲になった場所だけに、
寒くて霜焼けになったわけではないように思っています。

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