昭和後期までの夏の話しである。

笠置大橋ふもとでは、夏になれば、
木津川で遊泳を楽しむ家族連れがたくさん居た。

だが木津川は流れが早くて、よく小さな子供が溺れて流されて、
地元消防団が捜索して遺体が見つかるそうである。

不思議と流れのゆるくなった泉大橋~開橋で見つかるそうである。

泉大橋では幽霊の目撃談はないようだが、
不思議と開橋でたくさんの目撃談があるそうです。

精華町と山城町の小学生にとっては常識なのだが、
開橋で水遊びをしてはいけないそうである。

特に夕方の橋の下に近づくと、
幽霊の目撃談が色々とある
そうです。

多いのが子供らしき人間が手を上げて、
助けを求めているような表情でこちらを向いている

びっくりして捜索願を出すが、いくら下流の山城大橋周辺、
八幡市周辺をボートで捜索しても、遺体は見つからないそうである。

また、開橋で水遊びをしていたら足をつかまれた
木津川に引きずりこまれそうになったとも言われています。

かつて笠置山では後醍醐天皇が笠置寺に籠もったそうである。
1331年の元弘の変の舞台となった場所である。

後醍醐天皇が2500人で幕府軍が75000人居たそうだが、
幕府軍の落石によって、多くの幕府軍兵士が
木津川へ転落して溺死した
そうです。

また、木津川が血に染まったようです。

そう言った背景があるせいか、
今度は木津川で遊泳を楽しんでいると足がつって溺れてしまう

足を引きずり込まれる感覚に襲われる。
その溺死体が開橋で見つかると言った具合かと思います。

よって、開橋は溺死した子供の幽霊の目撃談の場所となっています。

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