〒640-8227 和歌山県和歌山市西汀丁

太平洋戦争末期、
日本が降服する直前の昭和20年7月9日。

和歌山市の上空を爆撃機が飛び、
次々と爆弾を投下していきました。

火の海になった街から逃げ出した人々が、
広大な空き地だった和歌山県庁舎跡に避難していたのですが、
火炎の熱波が避難していた人々を襲い、
この場所だけで700人を越える死者をだしてしまいます。

この近くにあった和歌山城も、
この空襲で消失したことからも、
どれだけ激しい攻撃だったのかが伝わります。

県庁舎跡には汀公園(みぎわこうえん)が作られ、
多くの人が亡くなった場所ということで、
和歌山大空襲で亡くなった方の供養塔が設けられています。

前日からの冷え込みで、寒いと思って目が覚めたのは、
やっと仕事の山場を超え、久しぶりに仕事の事を考えなくていい
休日の日でした。

目的に向かって忙しくしていた反動なのか、
何も考えずにフラフラしたいと思って、
目的を決めずにウロウロして辿り着いたのが汀公園でした。

他所から引っ越してきた私は、
それまで仏像がある公園としか認識していませんでしたが、
改めてまじまじと像を見ると、
空襲で亡くなった人のための仏像だと説明が刻まれていて、
由来のある供養塔だったのを知ります。

しばらく汀公園の隅の方で休んでいたら、
右手の小指が痒くなってきたんですが、
寒いからなと大して気にしていませんでしたが、
それは段々と痛いと思うくらいになっていて。

それで手袋を取って右手を見ると、
小指だけが熱く紫色に膨れていました。

急いで部屋に帰った頃には小指の腫れもだいぶ引いていて、
少し膨らんでいるけど痒みとかはなくなっていました。

ただの霜焼けだと思っていたんですが、
別の日にあった知り合いから、
何処か体の異常があった?と言われると。

空襲で多くの人が犠牲になった場所だけに、
寒くて霜焼けになったわけではないように思っています。

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