淀川区と北区を流れる淀川にかかる長柄橋という橋があります。
交通量が多いのですが、この橋は人柱が埋まっているという噂です。
この橋を建設中に作業員の方が橋の上部から落下し死亡しました。
今でも橋の中ほどに花束が置かれています。
そのせいかわかりませんが、長柄橋は毎年といっていいほど
事故が起こります。
長柄橋自体は道幅が狭いわけではなく
見通しが悪いわけでもありません。
しかし必ず車が橋の欄干に衝突する事故が起きるのです。
助からなかった運転手もいたようで、
橋には実は花束が置いてある場所が3箇所ほどあります。
実はこの長柄橋の登り口に過去に洪水が起こった際の
犠牲者の追悼碑と仏像が建っているのですが、
その仏像の顔がぐちゃぐちゃに溶けて
もう判別できないほどになっています。
私の祖母によれば、昔は洪水がよく起こり
この長柄橋付近も多くの人が流されて犠牲になったそうです。
川は昔から、亡霊や幽霊が住み着く場所と言われていますが、
もしかしたら洪水で亡くなった多くの人々が
この橋に近づいてくる人たちを自分と同じ所に
引きずり込もうとしているのではないかと思います。
実際に橋で事故を起こした人が言うには、
橋を通過する時になぜかハンドルを持っていかれたと
語っているそうです。
この橋を通る時はなるべく亡霊たちに
引っ張られないように緊張しながら渡っています。
特に夜に長柄橋を通過しなければいけない時は
車や自転車でも十分に注意してほしいと思います。
2016年8月6日 at 3:38 PM
長柄橋の天六側登り口に建てられた仏像は、洪水の犠牲者の為のものではなく、大阪大空襲のそれを慰霊する目的の観音像です。
1945(昭和20)年6月7日の大空襲の時には爆撃からのがれるためおおぜいの人がこの橋の下に避難した。当時は大きなビルもなく、このような所に避難するしかしかたなかったのだろう。ところがこの橋に爆弾が落ち、下流側半幅が落橋。そこへ機銃掃射があり、約400人が死に、橋脚に弾痕が残ることになった。第3、第4橋脚によく残っていた。
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/k-nagara.html
米軍の記録によれば、この日の大阪は雲量10。一面の雲の下にあった。B29は目標を目視できず、レーダーによる爆撃を行った。そのため、焼夷弾や砲兵工廠に落とす予定の爆弾も都島区を中心とした大阪市北東部に投下され、P51の機銃掃射も淀川両岸に集中した。城北公園や長柄橋、崇禅寺の悲劇もこのときのことである。
http://www.geocities.jp/jouhoku21/heiwa/o-kuusyuu3.html
2018年5月13日 at 6:52 PM
そうなんですか(?_?) 人柱は知ってて今まで梅田の高層ビル群の夜景がきれいで癒されて好きな場所だったけど空襲や花が置かれているのは知らなかったな・・・
梅田側から東淀川区へ渡る直前の左手に刑事の慰霊碑があるのは知ってたけど・・・。
原付だからなるべく後続車が来ないよう見計らって走ってたけど5/12に守口市でバイク乗ってた男子大学生が亡くなったし気をつけよう・・・。